しょうたんブログ

独り身アラフォーメンタル弱めが道を探す(さまよう)ブログ

20200512☆自己肯定感の低さを克服したい

心が不安定で、自己肯定感が保てずにいます。

サイレースという睡眠薬を飲んで一旦は眠りにつきますが、また二時間半くらいあとに目が覚めて、またしばらく寝つけない。

夜中に目が覚めて、ときに目覚めたときに、強い将来への不安感に襲われ、またサイレースを飲んで、呼吸をゆっくりと数えて、また睡魔がやってくるのを待っています。このとき、死にたくなるときがあります。

プライベートがうまくいっていないまま、だけど、希望を捨てたいわけじゃない。でも、現実を目の当たりにしたときに、今のままじゃいけないと強く思います。

みんなのことは大好きだし、同期のことも大好きです。

ただ、このまま流れに任せて流されて、それで状況が変わるとも思えず、ただ、心が不安定で、うまく自分のことを出せず伝えられずにいる状況、それが許されないと感じる状況にいて、不安感や時にくる死にたい気持ちが改善するとは思えず、今の体調のまま、組織的に動かないといけないところや、対人が多い環境で働くことは、自分には他人は絶対に変えられないという想いがあり、そうなると頼れるのは自分という想いが必要以上に自分に負荷をかけてしまっていて、同時に、仕事は核心的なこととは思えないために達成感に乏しく、この先の人生を考えたときに、今から方向転換を図ろうかという気持ちが強くなっています。

人生を立て直したい。

『逃げ』と言われるかもしれないけど、今の状況でがんばってみたところで、状況が好転しそうな気配は感じられないし、ひとと関わることがサイドブレーキがかかったような状態になっていて、達成感は得られそうになさそうだから。

自分に何ができる?そう問いかけたときに、『何にもできないよな』そんな気持ちが湧き上がって、また変わらない自己否定のスパイラルに陥り、不安感は拭い去れず、そうやってときが経つごとに不安感が強くなっていくのでは、そういう気持ちがあります。

強い不安感からくるストレスが強く、しなやかな心を持てずに、落ちた気持ちからなかなか回復できず、心が壊れそうです。

心のしなやかさにまつわるワードでレジリエンスって言葉があります。

僕は、そのレジリエンスが弱いのかもしれない、レジリエンスは、負荷がかかる状況下で耐え、それを乗り越えることで強くなっていくと言われます。

レジリエンスというものがあるのであれば、強くなりたい、

一方で、耐えているつもりではありますが、達成感のようなものはなく、むしろ自責の気持ち、なぜあのとき耐えられなかったんだろう、でもあのときはあのときで必死にやっていたし、抜け出る道を見つけられなかった、

そうして、周りのみんなが普通にできているのかはわからないけれど、

端から見ると、みんなが普通にできているように見える、それが自分にはできない、

そういった部分で自分に対しての自信が失われ、今のような状況に陥っているのだと思います。

ネットの記事とか読んでいると『家族』というものに対して、強く反応してしまっている自分がいます。

しょこたんが、『自分の遺伝子を残すまでは死ねない』みたいなことを言っている一方で、

コロナにかかった富川アナの、自粛中の家から、奥さんだと思われるひとの、子供を怒鳴るような声が聞こえる、というニュースを見て、すごく怖くなったりして、希望を持てずにいたりしてしまう。

子供の頃、親や叔父さんに怒鳴られたこと、そしてそれに対して何の謝罪も受けなかった経験、小学校の高学年だったとき、同級生のなかでイジメにあった経験、

ひとは過ちをおかす、そしてそれに気づいている、それでも謝る場合と謝らない場合がある。

謝らない場合は、コイツに謝っても自分は何もメリットであったり、得られるものであったりが無いと、無意識に判断されている場合、つまり自分の未来は期待が薄いんだという気持ちが心のどこかにあって、

それが今の、自分の自己肯定感を上げようとすることにブレーキをかけてしまっている部分があると思っています。

一方で、ひとを変えることにはとても大きなエネルギーが必要だし、むしろ変えられないケースのほうが9割を超えて、はるかに多い。

だから、不器用でどんなに時間がかかったとしても、自分を変えていくしかない。

一方で、他人は自分を変えようとしてくる。

自己肯定感が低いとみなされればなおさら。

一生懸命に自分を変えたいと思い、不器用なりに自分に向き合い、変えようと必死になっているのに、そこからズレている他人の要求、そこにnoと言うことに対して、何も後ろめたさを感じる必要はない、後ろめたさを感じて立ち止まった瞬間に、エネルギーが下がっていた場合、またイチからやり直すことになる。

柔軟性を持ち合わせているのであれば、それを受け容れることも考える。

でも、そうじゃなく、柔軟性を失っている状態でそれをやろうとすれば、確実に自分は壊れる。

仕方がないんです。

海猿の1であったように、自分一人を支えることが精一杯のちっぽけな人間に、他の誰かを助けるような余力はない。

それをやろうとすれば、自分も命を落とすことにもなり、かえって周りに迷惑をかける。